2020年3月12日木曜日

3.11

さて、毎年この時期になると3.11、東日本大震災のことが話題になる。
アメリカでは9.11。例のテロが話題になるが、そのちょうど半年違い。

そして、実は茨城県民もあまり記憶にない茨城空港にとっても記念日でもある。
このところ新型コロナウィルスの報道が各メディアを賑わせていて、それらの影響を受ける各業種の現状なども報道はされているが、茨城空港はほとんど話題に上っていない。。。

批判が多く渦巻く中、最後の地方空港として営業を開始したのが2010年3月11日。
元々狭い日本にそんな沢山の空港が必要なのかという議論。そして、羽田と成田に空港がありながら、首都圏にもう一つなんで空港が必要なんだとの否定意見が多い中に、まさに荒波の中船出をした茨城空港。
住民への説明では、成田空港が首都圏の主要空港と機能はしているが、周辺住民の猛烈な反対にあい、滑走路の施設が滞っていて十便に機能していない。その当時には羽田空港も発着のキャパが飽和状態で、将来増えるであろう旅客と貨物の需要をさばくには発着の便数が頭打ちになっていて、その分を物流上高速道路などで首都圏一円へ持っていける茨城県の航空自衛隊百里基地に併設するのが都合がよいとされていた。(現在の北関東自動車道もその当時の計画に沿って今でも建設中)

茨城新聞でも年越しの新聞には大きな見開きでその辺の未来計画が掲載されていた。
本当に茨城空港のことを知るには、空港の開港以前の記事なんかも掲示すればいいのですが、無駄に批判を受けることになるから、この記事を提供した茨城新聞社も忖度をしたのであろう。いうなれば、東日本大震災の年の新聞に東芝が原子力発電のPR広告をでかでかと掲載していたが、どこのメディアも報道をしないのに似ている。その後、東芝はその事業で関連会社が巨額の損失を受けて会社自体が傾いた。

 今はもう来なくなってしまったASIANA航空がこの時は就航していた。
当時は韓流ブームもあり、日本の多くの地方空港から韓国へ飛行機を飛ばしていた。
数年で日韓関係が悪化してしまい、運行は中断され、現時点までそのまま。。。

いろいろありながらも10年の歳月がたった。
なのに、空港内は新型コロナウィルスの影響で、がらんとしている。
国際便以外にも国内便の利用者も激減。メディアでよく報道されているように、国内でもツアーなどで感染が報告されているからなのでしょうね。感染者の移動履歴をたどると、ツアーに参加している旅行好きであったりもしたし。(そもそも旅行中に感染して、その後も他の旅行をしていたというリッチな人が初めに感染報告された。。。)

そして、今の時点では世界各国に飛び火している。
日本が仮にだいじょうぶになったとしても、他の地域はまだまだ真っ盛り。なので、オリンピックで日本に世界各国の人達がたくさん集まってしまったら、オリンピック後に大変なことになるだろうという議論もされて、延期もささやかれだした。

一時の我慢で何とかなればいいのですが、世界中のどこかで何か起こると、直接的に生活へ影響が出る。
過去にオイルショックで石油不足があったから資源を持たない国は備蓄した。
 さあ、今度はどうなるのであろうか?
地震や津波といった自然災害を経験し、今度も疫病なので自然災害に入るのであろうか?
そんないろいろな苦難を経験し、迎えた10周年なのでした。














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