2016年12月3日土曜日

「この世界の片隅に」を2回観ました!!

ついこの間12月1日に、以前にも観た「この世界の片隅に」をもう一度見に行きました!
毎月1日は、映画の鑑賞が1100円ととてもお安い。
本当はいろいろな映画を見たほうがお得なのですが、思うところありまして、過去に一度観ている映画を選択しましたのでスゥ。

茨城県では仕事終わりに上映している映画館は無いので、千葉県成田市の映画館で観てきました~♪
片道50km位は車だったらどうってことありません! 私、フットワーク軽い~。
マラソンだったら片道20km位(広島⇔呉間)、自転車だったら片道100km(しまなみ海道の尾道⇔今治間)位は道草しながらでも行けるよ。
自慢できるほど運動神経はよくないですが、日々トレーニングを頑張っていればこのくらいはやれます。人間ちょっとしたことで怪我したりして弱いものですけど、意外と強くなれますよ。

1週間前に広島へ旅行をしました。
それは、つい思い付きで応募した被爆電車のイベントに抽選で参加できることになったからです。
 この被爆電車、同じ型の電車は今でも2両ほど現役で運行されているようですが、戦後70周年記念行事として休車中の1両が特別に原爆投下当時の色に塗りなおされた。

この車両(653号)は、被爆当時に「この世界の片隅に」の主人公 すずさんの実家付近、江波線の端っこにいて被害にあったようです。

原爆投下の3日後には、路面電車の一部区間で運転が再開されていたらしい。
凄いですね! あたり一面焼け野原なのに、その中を走っています。
思い起こせば、私も北日本大震災当時に、電気や水道などのインフラが全て途絶したけど、とりあえず今出来る事、毎日行っているルーティーンのマラソンをしていた。
余震で地面が回るように動いていて、走っていても千鳥足状態になってしまうのだけど、じっとしていることができなかったのだ。(福島原発が地震で損壊していて、本当は外に出てはいけない状態だったという事は後でわかった。。。)
原子力を使った爆弾で世界唯一の被爆国が、半世紀を過ぎた頃に今度は原子力の発電所事故で再び被曝被害。

用途は違えど、同じ原子力の被害で今でも福島は荒れ果てた状態だ。
こんな日本が、NO MORE HIROSHIMA! と言っても、聞いてもらえるだろうかね~?



あの日あの時、すずさんの実家付近を走っていたこの電車。

原爆ドームの横を通り抜ける。
今も昔もこの道が広島の主要道路で、同じように路面電車も走っている。

イベント列車を乗り終えて、終着の原爆ドーム前で下車する。

原爆ドーム。
風化してしまいそうですが、この形が失われないように保存されているらしい。

原爆ドームから歩いて広島平和記念資料館も観てきました。
今年、アメリカ大統領のオバマ氏が訪れた際の資料もある。
織鶴と直筆の用紙。

TVなどのメディアではここを訪れた際に、ソビエトとの冷戦時代から代々伝わる原爆の発射スイッチを携えた要人の姿が話題になっていた。広島に原爆の発射スイッチを持て来たことを。。。

これもつい1か月位前に購入した古本。
週刊朝日の終戦から10年経過した8月14日号。
特集は10年ひと昔。そう、日本が戦争を終了した時から10年経過したときの雑誌です。

広島市内の病院に勤務していた院長、蜂谷道彦氏の日記が掲載されている。
広島日記の原爆投下当時の要約記事です。

あの時の広島。
上が被爆当時、下が雑誌発売の10年後。
10年ひと昔とはいかに。
 すごいですね!

しかし、この当時には同時のこのようなことが行われていました。
戦争の反省を基に、武力を放棄したけど自衛隊の前身組織設立。

そして、あの「ピカドン」を日本国内に攻撃兵器として配備
オネスト・ジョン、正直太郎。
世界唯一の被爆国が、この時点で既にその攻撃兵器を受け入れることを了承しているんですね。
負けるという事は、勝った国の理論を受け入れざるを得ないことなのでしょう。
ものすごく古くから繰り返されている事のようですね、「勝てば官軍」というように。

そうそう、自衛隊といえば、最近地元の自衛隊基地一般公開に行ってきたんですよね。

陸上自衛隊のエンジニアセンター。
ここは国際貢献、PKOの資料が展示されていました。









そして、棟を別にしてもう一つ展示が行われていました。
それがこちら、防衛館。
展示内容は、前の世界大戦時の資料です。
えっ!? なんでそれが防衛なの????

いろいろ資料を読んでいくと、なんとなく判ってきました。
満州や東南アジアの国々など、欧米の植民地政策から土民(現在では不適切な用語。ただし、以前は現地人という意味で普通に使われていた。)を開放するために、同じアジアの日本がリーダーとして戦いを導いていくという姿だったらしい。
なんで防衛なのかというと、あの当時に東南アジアの国(パラオなど)を国連から委託されて治安維持活動を行っていたのが日本。それで、日本は治安維持のために侵略国(植民地政策を行っていた国々)から現地を守るために闘ったという事らしい。

なるほどね。
ん!???
これって、現代の世界情勢で当てはめてみると、似たような状態になりつつあるんじゃね??
これ、防衛館で頂いた本です。


頂いた本の趣旨としては、事実をありのままにまとめて、茨城県の軍隊がどのような行動をとったのかをまとめる。そして、それを読んだ人がどのように感じるかは別にして、未来永劫参考となる資料となるよう心掛けて編纂したようだ。
自国の領土以外にも、最近は「駆けつけ警護」ということで、国際貢献を行う他国であっても自分達のグループが攻撃にあっている時には相手を攻撃してもいいというようにルールを作るようだ。
これって、第二次世界大戦中の日本の状態に似てきていると感じる。
もし、国際貢献を行っている他国において、治安が悪いから日本が治安維持活動を主導で行ってねと国連で言われたらやるのだろうか? 法律的には可能になってしまうようですが。
そうしたら、テロ組織と日本はその国や日本国内で諍いを起こすことをやむなしとするようだ。(日本の国会では武力衝突とは言わないらしい。だから合法?)


結局、げんこつにはげんこつでこたえるしかないという事なのかなあ。
 すずさん。
もっとすずさんのように普通に生きられる人が、もっともっといてほしいと思うけど、きれいごとなのかなあ?
きれいごとのために、努力できる人がもっともっと増えてほしいというのも、きれいごとなのかなあ?









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