司馬遼太郎の小説、峠の最後のほうで出てきた新潟と福島の峠越え街道を歩いてみようと思い、ここ数年計画を練っています。
昨年、福島県の只見町で手に入れたざっくり大雑把な案内図も参考にしています。
ここでの情報によると、福島県側の街道は、時代によって3通りあるらしい。
峠の主人公となった継之助が負傷して越えたのは古道で、途中までが登山道として現在も利用されている。ただし、利用されている部分以外は全くの情報がない。
同じく中道も、街道の跡を示すような資料が見つからなかった。
ただし、ここで太い線で描かれている新道に関しては、文化庁の歴史の道に選定されて、多分その当時に調査で通って描かれたと思われる地図がある。
ただ、この地図でも、歴史の道に選定された赤線以外の部分が、既存の道として今でもあるのかが怪しい。GoogleMAPの航空写真で確認してみても、この途切れた国道を開通させるべく、鋭意工事中の為にどこまで道路跡が残っているのかも怪しい。
これは、iPhoneのアプリでスーパー地形というものです。
国土地理院の地図を一定容量ダウンロード出来て、通信環境が無い山の中でもGPSが捕捉できればナビとして利用できる心強い便利アイテム!
文化庁の地図と照らし合わせれば、細かく蛇行している青線部分は古い道の跡の可能性があると思われる。
と、ある程度の情報を仕入れて、現地の調査を行う。
事前に調べた情報だけでは、とても越えられそうにないので、今回は福島県側の跡を見つけるだけで精いっぱいと思われます。
只見駅前の広場まで前日のうちに到着して、車中で仮眠。
早朝に日の出とともに出発します!
ただ、天気が悪い。。。
ぽつぽつと雨が降り出してるし、天気予報でも悪くなる予報で、やる気ダダ下がり。。。
さあて、腰抜けが越えられるのか?
叶津番所跡から山のほうに入っていきます。
太陽が昇ってきて、行く手に虹が見えます。
このまま晴れればいいのになあ。。。。
登山道入り口。
情報と同じように、途中までは八十里越えの旧道が登山道として利用されているために、入り口付近に古道入り口の標識があります。
今回は、ここを通りません!
なので先に進みます。
って、このすぐ先、既に完成した道路の部分でも立ち入り禁止になっとる。。。。
このスノージェットの場所って、青線部分のだいぶ手前のほうなんだけど。。。。
しょうがないので、道から近い河原に降りて、川を進みます。
多少なりとも踏み跡があった場合に、ちょっとでも楽をしようと只見駅から乗ってきたMTBはここからほぼ担ぎ。。。。
MTBを担ぎながら川を何度も渡って進んでいく。
道を通らせろよ。。。。
どこで相棒を置いておくか?
多分これ以上持って行ったところで、負担にしかならないと思う。
そもそもが、青い線の部分でも川の近辺に排水のためのコンクリートとか、昔の橋脚の名残りかな?と思われるコンクリがちょっとあるくらいで、砂利道も何もない。。。
国道の新しい道を見上げながら、周辺に街道跡を探す。
地図を見比べながら、文化庁が選定した歴史の道の赤線部分を探す。
ただ、川のそばで結構な斜面になっていて、道らしき感じは全くない。
そもそもが、福島県側が旧道と中道、新道に3通りある理由が、憶測ですが日本でも有数の豪雪地帯で、今年六十里越えの橋が雪崩で流されたように、自然災害によって付け替えざるを得ないことが起きたと思われる。
そんな地域で100年近く誰も使っていないから、既に道らしき痕跡が消えていてもおかしくはない。
ということで、今回の調査はここまで!
私の結論としては、文化庁が何でこのルートを選定したのかわかりませんが、国土交通省環境省の関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)でさえ整備が行き届いているとは言えないのに、このルートを今後何らかの形で歴史や観光の資源として整備するとは考えにくい。
やるのであれば、現在途中まで浅草岳の登山ルートになっている旧道のほうをやるのが現実的であると思います。継之助も通っているんだし。(#^.^#)
疲れて下ばかり見ていると、河原に沢山のエーデルワイス(シラネアオイ?)があることに気づく。
通行止めの国道に戻ってきて、ここからはちゃりで只見駅に引き返す。
只見駅に引き返して、初めて気が付いたのですが、交互通行で通れていた六十里越えが工事の為に通行止め。。。
しょうがないので、阿賀野川のほうに迂回して新潟県側の八十里越えへ。。。
途中、笹団子の仁左エ門さんで笹団子をと思って立ち寄りましたが、売り切れ。。。
ついていないときって、こんなものなのかなあ?
道の駅で情報を仕入れて、お土産も購入。
道路を迂回した分もう時間もないし、帰路につきます。((+_+))
帰宅後、只見産天然なめこと焼酎、栃尾の油揚げ、新潟の日本酒で反省会。
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