2020年11月23日月曜日

2020年秋 里山ライド

さて、前回は霞ヶ浦周辺の程よいツーリングコースを紹介いたしましたが、今回はうって変わって山の端の里山へと行きます!

それでも距離的には同じくらいで、初心者でも無理無くまわれるコースです。

 

今回の起点は笠間駅とします。都心からの輪行では、常磐線友部駅で乗り換えをして水戸線の下館・小山方面行に乗り、数駅のこじんまりとした駅です。


この駅からは、有名な笠間稲荷神社に行く人が多いです。

笠間稲荷神社は、一説には日本三大稲荷と呼ばれる有名なところ。

一説と書いたのは、伏見稲荷や豊川稲荷のお稲荷様の他に稲荷山〇〇寺などのお寺で日本三大稲荷と呼ぶところもあるからです。

秋のこの時期、神社では菊祭りを開催中で、菊の花であふれかえっています!


手水もこんな感じで一面に花が浮かんでいる!

昔はこういうのやっていなかったなあ~

最近はやりのインスタ映え狙いか? ( *´艸`)

お祭りの定番、NHK大河ドラマを題材にした菊人形。



秋になると市町村の文化祭で花木の盆栽などが展示されていたりしますが、コロナ過で続々と中止になり、よそではなかなか見かけませんが、こういう日ごろの成果を発表する場は必要ですね。

そういえば、ここ笠間市あたりに捨てられた犬猫の収容施設があったと思いますが、コロナ過で寂しくて飼ってはみたものの捨てられるケースが増えているのだとか。。。そういう人たちは動物じゃなくてこういう花や簡単な野菜のプランター栽培にすればいいのになあと思う。





きれいなお花を愛でた後はチャリで里山へGOです!

神社から30分も走るとこのようなさほど標高の無い山と田畑の広がる風景になります。

ここは茨城県と栃木県の県境付近、現在は合併して城里町ですがちょっと前は七会村という地名でした。

のどかな里山ですが、がさがさと山の中に入り込んでしまうと、降りた時にも同じような風景が広がっているので、自分は今どのあたりにいるのか戸惑ってしまうことがある。

こ、これは!

月間少年マガジンの龍狼伝でみた妖八陣ではないのか!?

 説明しよう、妖八陣とは三国志を題材として独自のストーリーで描かれた漫画 龍狼伝の作品中で、主人公が山賊の”いくつかの分かれ道に同じ目印を置き、敵兵を山中を迷走させ、体力と平常心を消耗させて討つ戦法”のことである。

 ちなみに、携帯電話の電波が届かないので、オフラインでGPSの座標と地図が表示できるアプリでないと役にはたちません。

迷子になるときってこういうものですよね。

方向音痴だからとか、そういう問題ではない。ふと自分の位置を見失ったときに、冷静さを失って無駄に動き回ろうとしてしまう。

からの~、仏国寺。

説明には関東の高野山といわれているとか書かれているが、現在ではこのお寺しかないし、周囲を見回してもそんな修行をしていたような場所が残っていないので、詳細は不明。。。

この辺は関東ふれあいの道になっているようです。

出発地点の笠間もそうだったように、このふれあいの道ってたくさんあるんです。

たしか、走破した人には認定証が発行されるという事だったようですが、それって結構大変ですよ。私は今までやり切った人を知らないし、四国のお遍路さんや日本の鉄道全線乗りつぶしより効率的にはたいへんな道程になるから、もしいたら尊敬するわ~!

その先には陸上自衛隊のサバゲー場がある。

今日はやっているようでした!

そして御前山ダム。

意外と山の中に来ているような気もするが、すぐそばに那珂川が流れていて、ちょっと下れば国道123号線です。

そして、ダム湖からツインリングもてぎ南側を通って茂木町へ。

道の駅もてぎで小休止。

時間的にも昼食にして、ゆず塩ラーメンでも食べようかと思ったのですが、いつも通りこの道の駅は混んでいましたので、パス!

ただ、お腹はすいていたから、イチゴジェラートを食す!

この冷凍の砕ききっていないイチゴのシャーベット感がGOOD!!!

わたくしは、バニラアイスやシェイクでも氷のジャリジャリとした触感があった方が好きなので、好みのツボです。


ここからは逆川沿いを走り、逆川地区の産地直売所へ。

いい里さかがわ館。

何かの賞をとったらしい。

ここでも手打ちの蕎麦が食べられます。

茂木にはいくつもの有名な蕎麦屋さんがあります。ここもおいしいですよ。

田舎で食べる蕎麦って、色が違う。こんな感じで緑色がかっている。

わたしみたいな田舎もんでも、ちゃんと味の違いが分かるくらいに、スーパーで売っている生麺や冷凍麺とは全然違う。

天ぷらも揚げたてはうまい。

そして、遅い昼食の後は逆川を後にして、深沢地区の方へ。

浄瑠璃坂仇討準備の地とある。

説明文を読むと、宇都宮藩内のもめごとが発端であったから、ここが藩主の菩提寺がある益子町にも近いし、隠れ住んでいたところとなったのであろうか?

法幢寺の山門。

おっ! 葵の御紋がある。

という事は、ここは水戸藩の領地だったのか。しかも、御紋を付けているという事は、あの当時にお寺や神社を統廃合した水戸藩内にあって重きを置かれていたお寺だったんですね。

そして、忠臣蔵といえば、以前は年末のTVには欠かせない時代劇でしたが、今の時代にはなくなっちゃいましたね。しかも、これもまた何かのご縁なのか、茨城県笠間市は忠臣蔵の発端となった事件の当事者、浅野家の赤穂藩に転封前藩主として治めていた地区、笠間藩の領主だったんです。そして、茨城県桜川市の旧真壁町、栃木県真岡市もゆかりの地としてあるんだな~

そして、桜川市の地区境に到着。

日の傾いた時間に山の中の峠越えをするほどわたくしは無謀ではないぞ。

という事で、県道をたどって岩瀬方面へ。

そこからは石切山脈を越えて出発地点の笠間駅へ。


 今回は寄りませんでしたが、石切山脈の石切り場は、近年その景観が再注目されていたんですけど、石切り場は会社の敷地内であるし、事前申し込みが必要など、見学にはハードルが高かった。

しかしここに来て、会社の建物に見学の受付はこちらですなんて貼り紙がしてあり、結構ハードルが下がってきている。関東近辺ではアクションヒーローの特撮現場みたいな場所ってなかなか見る機会はないでしょうから、平日限定ではありますが、機会がありましたらいってみてください~



































2020年11月16日月曜日

ドライブレコーダー取付 その2

 そういえば続きを書くのを忘れていました。

 

という事で、その1の続きです。

え~と前回はリアカメラの配線まででしたね。

とりあえずそこまで作業をして、その後に必要な部品の買い出しに行ってきました。

わたくし、ちょっと認識が甘かったのですが、ドライブレコーダー用の書き込み回数の耐久性が高いSDカードは高価なんですね。128GBまで使えるのですが、とても買えませんでした。。。この32GB で約4千円です。デジカメで使う安売りのものの4倍です。

そして準備万端作業開始です!

参考に取扱説明書も使用して説明いたします。
 

この製品は、ギアをバックに入れるとバックのガイドラインを表示する全画角表示に切り替わるのですけど、そのバック連動線は車のリアバックランプから分岐してとるように設定されている。

ただ、車の配線ってモジュール化されているから、リアコンビネーションランプにつながる配線の束から確実に見つけるのは結構めんどくさい。一度配線の束をばらさなくてはいけないし。。。

私は確実性と安全性を考慮して、リアカメラの配線に沿って前方へ戻し、最も確実にきれいに分岐できるナビゲーション裏のコネクター部からとることにしました。

もう一つ、ここから分岐することにした理由は、このモデルは電源をヒューズボックスからとるように考えられていますが、この製品に付属していたヒューズが10Aで私の車には容量不足であったし、もし15Aに付け替えたとしても、もともと車についていたヒューズボックスのふたは取り外したままになるか、取り付けるとすると結構めんどくさい加工が必要になる。ならば、それほど遠くないナビ裏からバック連動線もろとも一緒に処理をした方が確実できれいだ。



なお、ナビの取付の際に一度失敗をしたのですが、今回は車のバッテリー端子を外してはいないので、絶対にショートなどをさせないような慎重な作業をしなければならぬ!

ちなみに、電気回路をいじる際には、電気回路を破壊しないようにバッテリーの端子を外して電気を通さないのは常識です。

ただ、最近の車は電源を完全に落としてしまうと走行時の安全サポート機能が誤作動することがあるので、必ずリセットや初期化が出来る装置を持つメーカーのディーラーなどで処置をしなければならない。

バッテリーの端子を外してナビの取付作業をした際には、安全走行をサポートする装置のシステム異常ランプが何回か点灯した。もしこれを見て何か心当たりのある方は、一度ちゃんとメーカーのディーラーで見てもらった方が良いでしょうね。


あと、前回書きましたが、この説明書内のこの図はサイドエアバック無しの車の場合です。

最近の車の多くは横にもカーテンエアバックが装備されていることが多いので、必ずついている車はこのような配線の取り回しをしてはいけません!

メーカーの純正部品ではないのですから、説明書に書いてあったからと言って何も考えずに作業をしてはいけないんです!


そして、すべての配線が完了!

無事に稼働いたしました。

バックもギアを入れるとこの通り。

カメラの取付位置がリアガラスの上部なので、後ろのバンパー付近は見えません。

それはしょうがない所です。まあ、標準のミラーよりは広く見えてはいます。

そして実際に使用をしてみる。

このミラーって、後続車から見ると、ただのミラーの場合は前の車を運転しているドライバーの表情が一部見えるところ、このスマートミラーだと後続車の自分たちが映っているのが見える。夜道の信号で停車した時は特に。( *´艸`) ドラレコ撮影中のステッカーより、そのことの方がよっぽどあおり運転の抑止効果になるかも。逆切れしなければ。

あとこの製品の場合、日中の明るい時は、電源オフにした際に通常のミラーとして使用できるようにミラーのモニター部がミラーコートしてあるので、画像表示とミラーの像が二重に見えるのでかなり見難い。。。ちょうどずいぶん昔にガラケーで流行った液晶画面を鏡のように使えるミラーコートフィルムを貼った状態と一緒。

だから、画像の輝度調整が出来るようにはなっているけど、基本的に最大で使用をしなければならない。 ソフトウェアで液晶画面の表示だけをオフにできる設定を追加してくれればいいのだけど。画面にタッチした時やバックの時だけ自動でオンに切り替わってさ。

2020年11月15日日曜日

初心者向け霞ヶ浦サイクリングコース!

 え~、りんりんロードとは違って霞ヶ浦の方のサイクリングコースは、平坦な長距離コースという事が一番にアピールされているために、初心者の方はちょっとビビってしまうという事もあり、地元チャリダーの私がお手頃距離で楽しめるモデルコースを考えてみました。

 

設定としては、

1-基本的に霞ヶ浦のサイクリングコースを利用する。 

2-1日で十分まわれる距離。

3-もちろん初心者の脚力を考えて無理のないコース。


そして、虫が少なくなり、サイクリングにはいい感じの季節ですが、日没も早くなるこれからの時期を考え、コースを考えましたよ~


起点は、土浦駅ではありません!

石岡駅です。

なので、輪行ではJR東日本のお得なきっぷ、週末フリーきっぷのエリアからは外れます。

近年リニューアルされ、きれいな感じ。

バスのあまりいないバスターミナルには、かしてつバスのうんちくが書いてあります。

ここは、その昔鹿島鉄道という鉄道路線があったところです。その跡地に、廃線後代替えのバスの発着所が出来たのです。

これがそのバス。

バスの後ろに10周年記念と書かれていますが、これはこの駅周辺は車の渋滞が結構あって、バスが遅れがちになるのですけど、茨城空港の開港に合わせて空港のアクセス便の目的もあり、鹿島鉄道の廃線跡をバス専用道路として再利用開始して10年経ったという事です。

何の因果なのでしょうかね?

鹿島鉄道が、大きな収入源の航空自衛隊百里基地の燃料輸送をしていた駅傍の貯蔵施設が、老朽化によって更新をせずに燃料輸送停止&鉄道の廃線を決めた。それがバス専用線整備の数年前。一方、この間銚子電鉄の作った映画「電車を止めるな」の主目的が自社変電設備の更新に2億円の費用がかかるから、お金をかき集めるために行っているという事実。それ以前にも、鉄道収入より濡れせんべいの利益の方が会社としての利益は多いのだとか。(#^.^#)

銚子電鉄へのエールのために言わせていただくと、熱意と強い意志があれば状況は変えられる可能性が大きい、頑張れ~!!!!

それでは出発!

かしてつバスのターミナルから常磐線を渡って駅の西口へ。

駅前には忠犬タローの像があります。

渋谷駅の忠犬ハチ公のようにご主人を待ち続けていたのだとか。

こうやって正面から撮影すると、子供たちにいじられて困った表情をしているように見えるのは気のせいです。。。(;^ω^)


そしてここからは駅前の通りを通って、街中の方へ。


古い昭和の町並みを抜けて、向かったのは常陸国総社宮という神社です。

近年建て直しをされてきれいになりました。

本殿の向かい側には、その昔、日本武尊が腰かけたとの言い伝えがある腰かけ石。

この説明が書いてあるボードの絵、どこかで見た画風でしょ。

そう、手塚治虫氏の作品、火の鳥。

ここは、手塚治虫氏のご先祖様がお抱え医師として仕えていた常陸国の国府藩の菩提寺だったらしいです。それにちなんでこのようなお守りや絵馬などがあります。

ただの漫画などとコラボしたキャラクターお守りではないんです。

そういえば、手塚治虫氏はそのご先祖様を題材にした作品も描いていましたよね。


今回のポタリングの交通安全を祈願し、市内から霞ヶ浦へ。

国道6号線を横切って、収穫の終わった田んぼの中を進んでいく。

のどかだ~

常磐線を渡って高浜の街中へ。

結構いい感じの神社がある。

今では結構珍しい茅葺の神社。高浜神社です。

さっき通った石岡市はその昔、茨城県地方の国府が置かれていた土地で、ここが水路を使った鹿島や海側からの玄関口であったらしい。

昭和の初めまでは現在の主要道路、国道といえども雨が降ればぬかるんだでこぼこ道。今のトラック輸送のように早く大量の輸送は困難であった。今の時代は、道路は国や地方自治体が作って維持管理するのが常識ですが、昔は誰かがやるという義務はなかった。だから船便や、地元有志がお金を出し合って作った鉄道が重要な移動や輸送の手段でもあったんですね。

遠い昔の高浜の海を想像しながら橋を渡って霞ヶ浦湖畔を土浦方面へ。

遠くに見えていた塔がだんだんと近づいてくる。

そうすると、橋も見えてきた。これが霞ヶ浦大橋です。

これを渡って行方市へ。

日本で2番目に大きい湖。

橋の上から眺めると、広いですね~

機会がありましたら、この大きな湖を一周するコースにもチャレンジしてみてくださいね。

大体150km位はあるから、走り慣れていない人は春先の日照時間の多い時期に時間をかけて計画してみてください。今だと午後4時には完走しないと暗くなるから、脚力に自信がない人は余裕がない。

渡ったところに道の駅がありますので、ここで小休憩。

ここはチャリダーが多いですね~

おや?

なめパックンというナマズを使ったバーガーは1日限定10食になったんだ。

以前はお勧めしていた卵かけご飯は提供中止になっている。

ご飯系は全滅か。。。。

おっ!

筑波山名物の福来ミカンと書いて、ふくれみかんと読む茨城県特産のミカンが売っていました。苗木自体は売っているので、行方市でも作っている人がいるんですね。

昔からある古い品種。日本固有の柑橘である橘と何かがかけ合わさって生まれた何百年も前の品種なので、種はあるし甘いと書いてあっても現在の品種と比較してはいけません。

そして、霞ヶ浦を走るときのランドマークである道の駅横の虹の塔とお別れして玉造の街中へ。


ここから鹿島鉄道の廃線横を通って玉造工業高校を目指す。

高校の目の前が旧鹿島鉄道の榎本駅。

いまは少しばかりの土地を残して宅地になっています。

この駅のところに百里基地へ供給する航空燃料の貯蔵施設があったんです。

高校から梶無川方面へ。

そうすると、河童の恩返しという説明版が!

この川岸の小高い所に、新選組の初代局長であった芹沢鴨の生家があったのです。

NHKでドラマをやっていたころは、こんな片田舎にも歴女と呼ばれる人達が来たものでした。跡地があるだけで何にもない田舎なんですけどね~

そこから数キロほどのどかな道を進むと百里が原という、現在は小美玉市百里、航空自衛隊の百里基地がある。

百里基地の正面入り口で受付をすると、入り口付近にある古い飛行機の野外展示を見学できます。ちなみに、受付では身分証明書の提示が必要ですので、免許証やマイナンバーカードを持参してください。



今でもわずかに現役で残っているF-4ファントムⅡの引退したやつや、前の型のブルーインパルスもいます!

平日は世界中で飛行するところはわずかしかない現役のF-4を見にファンがこの百里基地に集まっています。もうすぐに完全な引退ですからね~

こっちは私が子供の頃に飛んでいたブルーインパルス。

今の型になって、小さくなりましたね。

機動性は増したのかもしれませんが、離陸まで航空祭でやるあの儀式は昔の機体の方がかっこよかったなあ~

そして、百里基地の正面入り口からぐるっと回り込むと、こんな畑の中にホームセンターが。ジョイフル本田かな? って、ちが~~う!

これが茨城空港です。

最近では、TVドラマの半沢直樹で伊勢志摩空港として登場していました。


空港の前の交差点からすぐ近くには、空のえき そ・ら・ら。

道の駅ではないので、それ繋がりの情報共有がなく、一般的には地方の産地直売所的なイメージだから、休憩の穴場的存在。

ここでは、ソフトクリームがお勧めかな~

自衛隊の部隊マーク入りカップ付きもあり!

食べ終わったらお土産にどうぞ。

あとはおかめ納豆グッズ。

他ではなかなか買えない。

あと、結構子供とかが多いのだから、コンビニなどにあるようなホットスナックとかを売ればいいのにと思うのだけど、ここら辺の道の駅を含めてなかなかやってないんですよね。

ホットドッグとか中華まん、焼き芋やマカロン、たこ焼きなどなど。

なぜ目の前に親子連れたくさんいるのに、それに合わせた商品を考えずに自分たちの売りたいも
のばかりを売るのだろう? そういうのって、客観的に見ていて不思議なんですよね~

あっ、すみません、地元民としてよそに負けたくない気持ちが出ちゃいましたね。。。<(_ _)>

 

空のえきの前にはよそではなかなかお目にかかれないコンビニが。

セイコーマート。

北海道で有名なコンビニが、ここ茨城県にも結構あるんです!


 ここで、北海道に行かなくても北海道民の感覚が味わえます。


そうしたら、ここから霞ヶ浦に戻ります。

その途中に手接神社が!

ここはカッパをお祭りした神社です。

先ほど通ってきた、芹沢家のお殿様にちょっかいを出したカッパ、それがここにお祭りされているのです。



その先には、万葉集に掲載された歌の歌碑が。

筑波山や霞ヶ浦近隣は、文字文化で現代に残る記録の中で、結構古くからのものがたくさんある。大和朝廷の頃から、その中心地域との交流が多くあったんですね。

そして霞ヶ浦へ。

ここから湖畔に戻ります。

少し行くと、沖洲地区の右手、田んぼの中に小高い丘が見える。

そう、この田んぼの中に古墳があるのだ。

縄文時代は水の中。そしてこの時代もぬかるんだ低地であったであろうと思う。そんなところにも古墳は作られている。他では、ちょっと小高い所とかに見下ろすように作られることが多いのに。三味塚古墳。個人的にはすごく不思議な感じ。

ちなみにこの古墳のすぐ後ろが高台になっている。

さっき通ってきた石岡市の高浜地区や霞ヶ浦大橋近くのかすみがうら市側にも古墳があるけど、それらは高台ですね。(;^ω^)

冬の渡り鳥がだんだん増えてきた霞ヶ浦湖畔をすぐ横に眺めながら石岡駅を目指す。

のどかですね~

こんな感じで、大体距離50km程度のサイクリングです。

冬場は日没が早いですから、大体午後4時には駅に到着するように無理をせず走ってくださいね~