2020年11月1日日曜日

2020年秋 福島観光へ行ってきました!

2020年の秋、GoToトラベルが施行され、余裕のある世帯はお得に旅行を楽しんでいる昨今。

わたくしは、週末の休日を利用して福島へ観光に行ってきました。

茨城県からひたすら海岸線沿いを北上する。

ケチなので高速道路は利用しない。1時間の短縮で3~4千円を支払うことが嫌なのだ。。。

 

最初の休憩地点は楢葉町。

道の駅ならは。

以前はここがこの地域の警察署であった。だから道の駅としては利用できなかったところだ。今ではこの地区の物産や入浴施設がある。


 楢葉町の手前にあるJビレッジも、以前はこの地域の放射性物質を取り除く除染作業の基地として機能していたけど、今では総合スポーツ施設として再開されている。


そして、今回の目的地の一つ、双葉町に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」へ到着。


すごく広大な更地の中にあった。

 入館料金は大人600円と、意外にたかい。私が住む茨城県の東海村、原発のすぐ近くにある原子力科学館は無料だったりするけど、比較してはいかんかな? 要するにスポンサーがいるか、無しかの違いがこれだと思う。

今は街のいたるところに災害の残骸が残っている状態だからそう感じるのであろうか?

 


 建物の上から眺めると、原発側は中間貯蔵施設という保管用の施設になるらしい。

世界的に見ても、最終保管地として稼働しているところはどこにもないから、この後どうするのであろうか? 事故によって予定外に核のゴミが爆発的に増えてしまったし。

 


 お隣には双葉町の産業交流センターというものがある。

芝生をお掃除ロボットルンバみたいなロボットが刈込をしているが、そんな感じでこの地方をいろいろな分野で発展させていこうという目論見らしい。


 中に入ってみると、まだまだ出来たばかりで空きのあるところが多い。


 一階のフードコートで唯一営業していたお店でちょっと早い腹ごしらえ。

なみえ焼そば!

いろいろお話を伺いましたら、ここの店主は元々浪江町でお店をやっていて、B級グルメで各地に行っていた人らしい。という事は、本物のやつなんだ!

茨城県でもイベントで時々見かけたけど、ちゃんと食べたことなかったかも。。。ほら、私は人混みが嫌いだし。。。(*´Д`)


 

 うどんのように太い麺だ!


 そして、店主お勧めのニンニク入り一味をかける。


 こう見ると、ラーメン二郎っぽいか?


 さらに生卵投入! ジャンク感が増してまいりました!

最終的にはつけ汁でズルっと流し込む!

店主は今後もいろいろと発展形を模索しているのだとか。

バランス的にはつけ汁は豆乳とかもありかも?( *´艸`)

そのほか、B級グルメ繋がりで知り合った岩手県北上のコロッケや山形県のラーメンもありました。
 

 それから、海辺を離れ山の方へ。

川内村へ。


 突如として田舎のまちにおしゃれなカフェが現れる。

Café Amazon

アマゾンカフェ。東南アジアのタイでチェーン店展開をしているお店の日本1号店らしい。


 コーヒーだけにしようかなと思ってたけど、ランチタイムの時間だったのでつい。。。

茨城県の霞ヶ浦沿いにも作ってくれ!

おれ、オーナーになろうかな? タイのコーヒー知らんけど。(#^^#)

料理は出来んから、クッキーくらいで何とか~

そしてさらに山道を走っていく。

本日は葛尾のそば祭り。

といっても、元々が小さな村だからそんなに大きなお祭りではない。

新そばの緑がかった色が素敵!



会場では、南国フルーツの特産化を目指す展示があった。

バナナ、マンゴー、コーヒーなど。


 不安要素は、これらの作物は耐寒性が弱いから温室で育てねばならんことかな。

私も以前にバナナを、奥飛騨の温泉で育てている業者から購入して植えていた。しかし、私の地方は冬場にマイナス5度付近まで気温が下がることがあり、露地では無理でした。

種にある仕掛けをして耐寒性を持たせ、育てている人もいますが、それが一般化してしまうと、茨城県ではある地方でパパイヤを特産化しようとしていたが、ホームセンターなんかでも苗が買えるようになり、途端に付加価値を失ってしまっている。何故か我が家の畑にも大きなオクラだなあと思って見ていたら、パパイヤだったという事があった。。。そもそも日照時間が少ない所では品質的に不利ではないかと思う。

むしろ、常陸秋蕎麦みたいに、伝統野菜などを探してそれをベースにした方がいいって、どこかのフードプロデューサーが言っておりました。 


そして、葛尾大尽屋敷跡公園へ


これ、絶対に村民から怒られそうだけど、なんだか犬神家の一族を思い出してしまうんですよね。


そろそろ紅葉が見ごろを迎えた福島県。茨城県から福島県までをつないでいる国道のワインディングをはしって、帰宅。

来年は震災後10年を迎える三陸地方をもう一度チャリで走ってみようと思うのであった。








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