2019年1月23日水曜日

益子町から東北へ

実は新年明けてすぐに益子町へ行きましたが、その数日後にそこから我が愛車 ビートで白河迄ドライブに行っていました。


益子町は国道294号線の途中にあり、この田舎道をひたすら行けば会津迄到達します。
茨城県取手市の国道6号線から分岐し、筑西市から栃木県の真岡市に入り、そのまま北上すれば旧国道4号線に合流するし、田んぼ道ドライブを楽しみたいのであれば氏家まで快適にとばせる田園ハイウェイ(一般道です。。。)がある。
ただ今回は、田舎の風景を楽しみながらワインディングを走りたかったので、この道を選択!

那珂川の傍を走りながら大田原市の資料館に到着!
昔旅した時の記憶では、ここは元々大田原市ではなかったはず。湯津上町だったよね? 平成の大合併で大田原市になったんですね。だからちょっと違和感がある。

昔この地方を統治していた時の記念碑が見つかったので、そのことがいろいろ書いてある。雨の多い日本、石碑というのが一番後世に残るものなんですね~

実はこの辺も昔は水戸藩の管轄だったらしく、黄門様が領地視察に来ていたらしい。

資料館の近くには碑を祭った神社がある。


さすがに直には見ることが出来ない様子。

皇室の方がここを訪れて松を植樹されたらしい。
ただ、その松は無いです。

そこからまた那珂川を上っていくと旧黒羽町がある。
芭蕉の街という売りなのだが、芭蕉が立ち寄った雲岩寺自体がずいぶんと寂れてしまった感じ。ちょと前にJR東日本のCMで吉永小百合がロケした場所ですが、四半世紀前はもっとお客さんが多かった。お土産屋さんがあったほどに。
それでも、近く将棋の対局がこちらで開催されるらしい。こういうのっていいですよね~

そしてここから国道294号線は、旧奥州街道となり白河へ。
でも、白河からはまた分かれて猪苗代湖のほとりに出るんですけどね。

白河市に入ったら、そこから白河の関へ。


昔、奥の細道を旅した時も来たっけなあ~
あの時、松尾芭蕉の歌を探し回ったけどなかったのだった。そりゃそうだ、芭蕉はここに来ていないのだから。昔の歌人が蝦夷の地に踏み入る感情を、この関を歌の中に詠んで表していた。それを芭蕉も思って使ったに過ぎない。芭蕉が今の白河市を通る頃には、この関がどこにあるかさえ不明になっていて、江戸時代にこの領地を管理する藩が調査をしたらしい。

そこから南に行くと 追分の明神が。

白河の関にも義経の伝説を説明する解説板がいくつかあった。
ここから旧奥州街道と交わる伊王野まで、地元自治体が設置した説明板がある。多分、以前にNHK大河ドラマで源義経がやっていた頃に設置されたのだと思う。確か、義経役をジャニーズのアイドルだった滝沢秀明さんがやって話題になったのでしたね。今ではジャニーズ事務所子会社の社長ですものね~。

古い時代の石碑ですね。
白川と白河、どっちが正しい書き方なのであろうか?

道の駅でそばを食べて帰ります!
八溝山、余笹川、那珂川、それらの自然の地形で昔の人が行き交う姿を想像しながらドライブを楽しんだ一日でした!








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