2018年7月1日日曜日

公共交通機関に思う事

3月の末に三江線が廃止になり、3か月が経ちました。
4月からは代替えのバスが運行開始しましたが、利便性的には上々のようです。

私は旅行が好きで日本全国いろいろな所にいろいろな手段で出かけています。
日程的とか、金銭的とか、条件によって手段を使い分けています。だから、鉄道でなければいけないとか、バスじゃなくてはいけないとかいうことは無い。
ただ、一番めんどくさくて厄介なのは、利用方法がバラバラだという事ですね~。
以前はわかりやすかった鉄道でも、無人駅では駅備え付けの整理券をとって列車に乗る方法とワンマン列車に乗ってから列車内の整理券をとる方法とがある。列車だって車掌が乗る列車は全部の扉が開いてどこからでも乗れる時と乗らない列車は運転手のいる一番前のドア以外が開かなかったりする。いつも利用する人ならいいが、あまり利用しない人には敷居が高い。年寄なんかだと慌てて事故にもつながりかねない。
更にバスなんかだと、さらに利用方法がいろいろあって難しい。
例えば、鉄道だと茨城県の水戸駅に行きたい場合は常磐線のホームを探して行けばいいが、バスで水戸駅から免許の更新の為に免許センターに行きたいとなったら、免許センターを経由するバスが発着する3番乗り場にいるだけではダメなんです。3番乗り場でも全然違う所に行くバスが多数発着しているから。鉄道に例えると茨城方面に行く常磐線と栃木方面に行く宇都宮線、群馬方面に行く高崎線が同じホームに発着するというイメージです。
料金の支払いだって、バス(事業者)によっては違っていて、料金を入れておつりがある場合はおつりが戻ってくるバスもあれば、料金投入でおつりが出ないから事前に両替を必要とするところがある。

そうそう、三江線に乗りに行った時に気になって写真を撮ってきたのがこれ。
これがバス停なんです。この棒のようなもの。( *´艸`)
ぼーっとしていると見逃す危険ありです。

備北交通のバス乗り場。
関東地方ですと、棒に平らな板がついていて、そこに文字が書いてある。
近くで見て、ああ!!!これがバス停か!!!と思った。こういうのもありなようなので、思い込みでバス停を探すと危険です。

鉄道会社は国鉄からJRになって、私鉄のように駅周辺の開発と一体化した計画によってずいぶん収益が上がっているようだ。JR東日本は品川の電車を停めておくところも再開発して、近々多分すごい収入を得ることになるんでしょうね~
その一方で、収益につながらない地方の路線は次々と理由をつけては廃止の方向に持っていっている。この三江線のように、安全性の面で問題があっても修繕をされない路線は先々廃線の方向に持っていく可能性が高い。法面の崩落防止工事や耐震化、バリアフリー化の工事など。だから、旅をしていると肌で感じることが出来るのだ、この路線は長くないなと。国がいくら公共交通機関の責務だと言ったところで、会社は収益をあげてこそ存続出来るので、黒字化の見込みのない部分は消滅していくのだ。JR北海道の大部分の路線が維持困難で消える話がここ数年活発に言われているし、JR四国も同様だ。それに最近は頑張っていたJR九州もやばい事が表面化してきた。その次がJR西日本の山陰山陽ブロックだろうし。
結局、国鉄を民営化することによって、仕事の仕方よりも事業の形態に幅が出来て収益をあげる事が出来るようになったという面はあるが、本来の事業である鉄道運行単体だけではどうにもならんという事だったと思う。
モータリゼーションの波で、利用者が自動車に移行して、バス会社が儲かるかというとそうではない。JR北海道の廃止路線や駅の利用状況を考えてみると、1日の利用者がせいぜい10人程度以下の路線では、バスだったとしても利益になるとは思えない。実際に地方の多くの路線では、その土地の自治体が補助金を投入して運行を継続してもらっていたり、独自のバス運行やデマンドタクシーなどの形態を始めている。ということは、鉄道としての赤字が、数字を減らしたとしても国から地方自治体を通した形で使われているのですね~。(*´Д`) 

まあ、当初の目的である赤字削減は出来ているんだろうから、批判するようなことは無いじゃん!とも思われるかもしれませんが、ここは公共交通機関をどう考えるかの違い。
三江線廃止後の代替えバスはうまくやったなあと思いますが、廃止後って現在各地で運行されている市内循環コミュニティーバスのような小さな行政区割り内だけの路線になってしまうケースが多く、旅行者にとってはとても厄介だ。
クールjapanだか何だか知りませんが、日本の文化を売り物にするのなら、旅行者も含めた「日本全国同じサービス、同じ料金でどこへでも行ける移動の自由」を目指してほしいですね~。国として。現状では、利便性の良い都市部へ人口の流入が続いていて、それ以外は過疎化していっている。その意味とは、地方の文化がどんどん無くなっていっているんですよね、受け継ぎ手がいなくなって。


また、交通機関を含め、いろいろな所で競争化を進めていて、そこで問題が生じると新たなルールを作って対応しているが、その結果として不利益な部分のしわ寄せが末端にいっている。交通機関の場合はなり手がいない運転手であったり、何処かのバス会社が高収益路線に新しい会社が国から参入許可されたから不採算路線の廃止申請したり(少利用者路線の足切り)など。そうすると、結局は上で書いたような人口の少ないところはより利用し辛くなる。

将来的に、国としては国内の一部に人口や産業の集中を目指しているのだろうか?
そう思ていないとしても、現在そうなってきているし、そういう方向に向かっている。


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