2018年1月5日金曜日

水浜線の足跡を巡る

新年早々、せっかくの正月休みでもあるのだし、昨年行こうかなと思ってそのままだった水浜線の跡を巡ってみることにします。

水浜線の一方の終着駅は上水戸にありました。
今ではスーパーが建ってて、道の形状が昔はここが駅で、国道から駅に通ずる駅前通りがあったような形をしている。
このスーパーの前に立ち、左右を見渡すと茨城大学方面片側が直線の道路になっている。
ここも昔の線路跡地で、茨城線という今のJR赤塚駅からここ上水戸を通って道の駅かつら手前のメガソーラー(確か元運送会社があったところ?)付近にあった旧御前山駅を結んでいた。今も現役で利用されているのは茨城交通の本社位ではないのかな?





上水戸からは街中だから所々住宅に阻まれるが、道の形状が昔の鉄道跡であったことを思わせる。




水戸駅前から続く国道50号線の大工町3丁目に出る手前、旧砂久保町の児童公園付近には何本かのコンクリート杭があり、よく見ると水浜となっている。


何故か結構新しめの杭もあった。もしかして、茨城交通の水浜線スタンプラリーで新たに作ったとか?
ここから水戸駅までは、国道50号線と同一のルートを通っているので正月の初売りを横目に走り抜ける。

と、正月ながら開いている食堂を見つけたので昼食にします!

富士食堂。なんでも今は3代目になる老舗食堂なのだとのこと。
という事は、戦前から営業していたのでしょうね。(´▽`*)
お店に入ると先ず注文するシステム。
それがメモ帳位の写し紙に書くのではなく、このような食券を購入するのだ!
昔駅にあったきっぷの入った箱みたい。

この食券を買って、券の半分をもぎって厨房におばちゃんが持って行く。
当日有効って書いてあるけど、買いだめしておく人もいるのか? ( ゚Д゚)




日本の洋食あるある。
漬物やお味噌汁がついてくる。
しかし!
食後は煎茶ではなくコーヒー!
洋食は日本の料理ですね~

食後は水戸駅から大洗方面を探索。
三の丸、国道51号線の高校下を通るバイパスが昔の水浜線跡を利用しているらしい。
有効活用をしたのだろうけど、水戸駅北口の交通は、あまりここを通らない人にはわかり難いし、交差するポイントが多くてかなり危ない。

国道51号線が常磐線を渡る橋の下、線路側は茨城交通の貸し駐車場となっている。
昔、この辺で水浜線が国鉄の路線と交差していた名残りなのでしょうね。

常磐線の向こう側、水戸のお城跡側を鹿島臨海鉄道の列車が走っていく。
こっち側は駐車場として残ったけど、向こう側はマンションや新しい路線に利用されたのかな?

線路わきを離れ、また痕跡を追っかけていく。
桜川を渡る橋に水浜線の路線跡が今でも残っている。

道路の真ん中。橋の継ぎ目に線路の跡が残っている。
今でも残っている路面電車って、基本的には上下線が分かれている複線が多い。
この水浜線は単線で、何処かで上下の列車交換を行っていたようだ。

国道51号線の天狗納豆工場脇から国道を横切り本町へ。

 この商店街の真ん中を通っていたらしい。
今運行されている路面電車でもこんな急角度で曲がっていたっけ?というようなカーブで繁華街を通り抜ける。回転半径って今のバス並みですね。

商店街を抜けるとエコスという店舗がある。
ここが昔の路面電車車両基地だったのか?
そこから国道51号線と並行するように国道6号バイパスの方向へ宅地の中を路線跡が続いている。
水路には鉄道の架橋を利用した歩道が今でもある。丈夫なんですね。(;^ω^)

橋からショッピングセンター方面を眺めると、まっすぐな道だ。
道の正面がエコスというスーパー。

この旧路線跡にもコンクリート杭がいくつも残っている。
ちゃんと水浜と読めます。





また水路で途切れたかと思いましたが、その先の田んぼの中にそれらしき跡地がありました。

一部舗装されていない道路もあったりしますが、それでも利用されているあたりは旧鹿島鉄道の路線跡とは全く違う。鹿島鉄道跡はほぼ活用されていないか、区画整理で消えてしまっている。周辺人口の違いでしょうね。(*´Д`)
鉄道が無くなって栄えた町は無いっていう人がいますが、それは偏見で、東京でも京都でも沢山の鉄道が消えています。路面電車ですけどね。大きな都市に輸送能力が低く道路を走る車と路線がかぶるそれらの鉄道は邪魔以外の何物でもなかったのでしょうね。その代わりに地下鉄なんかが出来ているからそういうことだと思う。ざっくりと一括りにするのではなく、ちゃんと理由別に分類して考えていく必要があると思いますね。

栗崎のあたり。
以前にスタンプラリーで訪問したところ。

これ、気になっていたんですよね。
で、この出世街道を走って行って、数百メートルで迷子になりました。。。。(;^ω^)

もしかして、このお寺が到着地点か!?




むむっ!!
一隅を照らすもの、これ則ち国の宝なり。


出世して、ウハウハな人生になれることを想像してこれを見ると、かなりしてやられた感がある。。。
なんだろう、この劣等感。。。。

それはさておき、先へ進もう。
常澄から田んぼの中を進んでいくと、国道51号線にぶつかる。

ここを越えて、また田んぼの中を進む。




ここにも橋の名残りが水路にあった。
こっちは何にも利用されていない。




さらに進んでいくと、涸沼川にぶつかる。行き止まりです。




で、ここは近くの橋を渡って大洗の街中へ。
ここでもまたエコスというスーパーにぶち当たる。
こっちにも車庫があったのかな?

で、ここから街中を進んでいくと、そこにも標識が。
水浜ではなく茨交だって!?
後年に作り替えたのか?

住宅地を急カーブで曲がりながらきらめき通りへ。
このカーブのきつさは小さな路面電車故ですね。昭和初期の未舗装の主要道路ならこれでも速度的に勝てているでしょうけど、次第に舗装道路になってくると車のスピードが上がってきてバスには勝てないですよね。昭和初期の国道って田んぼの砂利道のようだったらしい。車の通りが多ければ轍や穴が多くて、平均時速なんてせいぜい20km/h以下とか。

 曲松商店街近くの消防署付近には、線路跡の路地が続いている。
 そして、磯前神社とゴルフ場の間の道にも路線跡と思われる空き地が。

そして最後は神社脇の駐車場へ。
とりあえずはここまで。

ここから海門橋までも路線はあったようですが、めぼしい鉄道跡が見つかりませんでした。

次は茨城線跡でも巡りましょうかね? ( *´艸`)
昨年茨城線(茨城鉄道)のパネル展も観てきたからある程度知識ありますしね。








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