2014年7月20日日曜日

広報 小美玉

小美玉市の広報誌が通算100号になったようです。
表紙は空のえき そ・ら・らです。
紆余曲折ありましたが、今月末にオープンするようです。
いろいろあったせいか、結局は何処にでもある普通の道の駅に落ち着きましたねえ。
それでも、茨城空港の正面という立地を生かせれば、全国各地にありがちな赤字垂れ流しの道の駅にならずにすむ可能性はあります。
道の駅には意外と詳しいんです、俺。結構いろいろな地域の所に行っているし~♪
って、この施設は道の駅に認定されているってことでいいんですよね? そこは重要な所なんだけど。。。。

茨城空港はといえば、夏休み&三連休という事もあり、結構混んでいました。
空港自体が小さいから、お昼時には活気ががあります。
最近は日本国内でも多くのLCC航空会社が競争状態にあるので、ここ茨城空港ではスカイマークが力を入れてくれています。JALやANA系列は成田や羽田の方で頑張っているようですからねえ。
私的には、高知⇔茨城⇔札幌と東北の日本海がわ(庄内か能代)を結べば便利でいいなあと思う。そうなれば、全国各地を茨城空港から旅行出来るんだなあ~。
ほら、俺って旅行先でいろいろ見て廻りたいタイプだから、往復とも同じ空港を利用すると限らないし。行きは米子で帰りは福岡からってこともありうる。
今年は成田からジェットスター便も利用した事あるけど、成田と羽田の組み合わせは計画出来る範疇にあるけど、成田&羽田と茨城空港を組み合わせるのはきつい。。。

それと、広報誌中に気になった記事が。
いよいよ小美玉市でも小中学校の統廃合が実施されるらしい。
小川高校に小川南中学校が移転し、南中学校に橘小学校と小川小学校が統合されて移転されるとのこと。
我が母校、橘小学校。
一足先にお隣の行方市羽生小学校が同じ位の長い歴史に終止符を打ったばかりだ。
行方市は、幼稚園のバスみたいに送迎を業者に委託して行っている。
登下校時のトラブルがTVニュースになったりしているから、保護者的にはその方がよいのでしょうけど、つまらない世の中になったもんだなあ。
教室での勉強自体はあまり思い出として残っていないけど、時間外の遊びや通学時のいろいろな出来事は楽しい思い出として沢山覚えている。

思い立って、何十年かぶりに小学校に来てみた。
って、昔は自由に校庭へ入れたのに、何故に完全に施錠されているの。。。

入っちゃったけど~。

懐かしの二宮金次郎像。金属ではなくコンクリート製です。

碑文は町が変わっても昔のまま小川町。
そして、旧橘村の橘小学校故、橘の木があります。


鉄筋校舎だけど、私が学んだあの頃のまま。
高学年になると、校舎の2階になる。窓からひさしに出て、このひさしから飛び降りる事が流行ったなあ。今見ても結構な高さがある。当然のことながら当時の担当の先生に見つかり怒られた。
失敗すれば骨折くらいはするだろうから、当然といえば当然のことなんですけど。
子供ってむじゃきですねえ~。

この鉄棒は昔のままだ。
鉄棒の近くにこんなコンクリートの敷き物は無かったけど。
この鉄棒で、勢いをつけてどれだけ遠くに飛べるかを競い合ったものだ。
そういえば、校門横のブランコは無くなっていた。
そのブランコでも勢いをつけてどれだけ特に飛べるかを競ったものだ。
とにかくなんでも飛んじゃうんだね。大人はしきりに止めさせようとしていたけど。

小学校の隣には幼稚園があります。
広報誌の記事では触れていませんでしたが、小学校が廃校になった後、どうなるのかが気になりますねえ。
建物はとても古いです。
多分40年近くになる。
滑り台やUFOの遊具も30年以上動く状態で今もあることに驚く!
懐かしいなあ~。

東京駅まで2時間以内で行ける首都圏のこの土地でも過疎化が進んでいる。
競争社会であるから弱い者は廃れる運命なのであろうけど、さびしいもんですねえ。
今の政治の理論でいえば、日本人の人口の大半は負け組だから少子化もやむなしだし。より貧困に近づく多産を選ぶはずが無いから。。。。戸籍がはっきりしない東南アジアの国々だったら、多産にもなる可能性はありますけどねえ。
近い将来、日本もそうなるのかなあ?

いつもの妄想をふくらませながら、昔の記憶をたどるのでありました~



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