2014年1月5日日曜日

北海道旅行 その4

早朝宿を出て木古内の駅で始発に乗り込む。


乗りこむと、お客さんは誰も居ませんでした。もう貸し切り状態。
時間的に、乗り鉄と呼ばれる鉄道を乗る事を主とするマニアは木古内に前泊していなければならず、一日で出来るだけ沢山の列車に乗りたい彼らの願望から言うと、乗るのに都合のよくない時間の列車なんでしょうね。

まだ朝食を食べていないから、さっき駅で購入したお茶で空腹を紛らわす。
とうきび茶、韓国ではよくあるけど日本ではまず見かける事が無いトウモロコシのお茶。



山を越え、最初の停車駅 神明。

周りには数件の民家しかない。
駅のホームには、昨日誰かが作った小さな雪だるまが置かれていた。

湯ノ岱で上下線のすれ違いがある。
窓の外を見るとこんな早朝からタブレット交換を撮影するためにカメラマンがホームの端で三脚を構えている。ちょうど私の位置から反対になるから、こちらから撮影をするとあちら側からは絵の中に入る位置だ。邪魔になりそうだから、私は列車内で見ているだけにしよう。

江差駅に到着。

列車は折り返し函館行きになるようだ。
一両編成だけど、多分木古内でもう一両連結するのだろう。

おお、一応知内迄の料金が書かれている。
ここ江差駅の運賃表では木古内-五稜郭の区間は津軽海峡線となっていて、江差線ではない。
JR内ではどっちが正式な表記なのであろうか? 江差線? 津軽海峡線の一部?
こまけー事はどうでもいいや、どうせもうすぐ使わなくなる運賃表だし。

江差駅を出て鴎島を目指す。そっちにいろいろと見る所がありそうですからね。

鴎島の入り口、マリーナに開陽丸がありました。こう見ると砂浜に埋もれているような感じ。
残念ながら年末で休業です。中には入れませんでした。

そこから歩いて数分、鴎島です。
かもめの散歩道を歩いて行くと、その先には北前船を係留した跡が残っていました。




この先、堤防を越えていくと、島に上る道があるのですが。。。
波が高く、岩場には海苔がびっしり。

これは滑って歩けなさそう。
ここはおとなしく引き返します。

そして、旅館脇から違う遊歩道があるので、そこから島に上がります。
鴎島灯台。ここが一番見晴らし良さそう。
とりあえず登っちゃいます~

 風が強いし、あの道を通って徳川幕府時代の砲台跡を見に行くのは危険そうだから止めようかな。意外とビビり屋の私でありました。(^^ゞ



 さっき通ってきた開陽丸の脇をまた通って、いにしえ街道に向かいます。



ここからは景観保存地区。



神社では年末年始の準備中。





いにしえ街道、端っこまで歩いてきました。

東別院、完全に閉まっています。。。



境内の鐘は少し開いている。
除夜の鐘はつける状態。俺が今ついたら怒られるよな、きっと。
さて、お腹も空いたし中央商店街方面に引き返すことにします。


旧郡役所、以前にお邪魔した会津田島の郡役所に似ている。当時はこのようなハイカラな建物が主流だったんでしょう。今の小さな市町村役場より小さな建物で、郡という単位の業務を行っていたというところがすごい。どんな仕事をやっていたんでしょうね。

旧郡役所の隣、坂を上がっていくと小学校がある。
すごい、4階建てだ!
 五勝手羊羹本舗でお土産を購入。
地元の有名な品らしく、次々とお客さんが絶えない。

そうそう朝飯。もう10時過ぎだけど。
街中の食堂で鰊蕎麦を頂きました。
ニシンの半身が蕎麦の上に乗っています。
蕎麦はここ数年食べなかった乾麺でしょうか? 逆に懐かしい。子供の頃自分の家でおばあちゃんが作ってくれていた年越しそばがこんな感じ。乗っかっていたのは天ぷらだったけど。
私の家は茨城県の平野部にある普通の農家だから、近隣で蕎麦を栽培している所は無い。
だから、凝っている人でもなければ蕎麦打ちはしないし、大概うどんやそばなどの麺類は乾麺だった。今時は普通にスーパーやコンビニで袋入りの生めんや冷凍麺が売ってますけどね。昭和の時代には、生麺は少なかったです。日持ちがしないから取り扱いが少なかった。

 北前船が全盛期の頃、どうだったんでしょうね?
手打ち? 乾麺?

次回につづく
いよいよ完結かな~


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