2013年12月23日月曜日

橘を室内に退避!

常陸国風土記編さん1300年ということで、ここ常世の国茨城県では様々な催し物が行われています。
土地が広く、海山の産物も多く、人々は豊かに暮らし、まるで常世の国(理想郷)のようだと古くから言われていた茨城県。確かに私も日本各地を旅してきて、一年を通して、何年も生活することを考えてみた場合、天災は少なくしかも四季折々の移り変わりを楽しめるよい地域と思います。東京に近くて交通の便は良いし、遊ぶところもたっくさん!

で、私はそれに合わせたわけではありませんが、風土記に記載されている我が土地の昔の様子。霞ヶ浦のほとりで、橘が沢山生い茂っていたことから、この土地を橘郷と呼んでいたらしい。行方市立花地区、小美玉市橘地区周辺で何か特産品を作ろうという試みを始動させています。
「橘プロジェクト」
まだ私一人でやっているだけですが、数年後には常陸秋そばに追いつけるような知名度まで持っていきたい。
柑橘類は、ここでなくても栽培は出来ますが、ここでなくてはいけない意味がある。それがブランド。

そんな野望を持ちながら、初めての冬を迎えたわけですが(ここからが本題。。。)
試しに栽培をしている橘が低温でやられてしまいました。。。
ビニールハウス内に植えていたから、直接霜の被害にあったわけではありませんが、ここ数日は氷点下の最低気温を記録していて、葉の水分が凍ってしまったようです。多分水分が多い若葉や芽の部分だからと思われる。
緑色の薄い葉、その辺が沢山水ぶくれのようになっている。
これはいけませんね。
残念ながら若い木は越冬出来そうもありません。
我が家の周囲にはふくれミカンやゆずなど沢山実を付けた木が家の敷地に植えられていることが多い。そのような木々は葉の色がもっと濃く、冬までに成長し切った枝葉のようだし、そのような枝にならないと冬を越せないんでしょうね。
 本当に昔は橘が沢山自生していたのだろうかと疑問も出てくる。
考えられるのは、昔は霞ヶ浦の湿地帯が周囲にもっとたくさんあり、今の田んぼの部分が葦の原っぱであったようだから、湖の朝霞が周囲に立ち込め、寒さを幾分軽減していたのかもしれない。
そんなことを妄想しながら、植え替えをしました。

さあ、来年は挑戦2年目。
今年の経験を活かし、栽培を拡大して行こう!

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