2012年12月16日日曜日

自分が総理大臣になったら

今日は選挙の投票に行ってきました。

景気の長期的な低迷や震災後の復興、原子力発電などのさまざまな問題に関するマニュフェストも、すごく量が多いものになっていて、理解するだけでも大変な作業だ。もっとも、先の政権でマニュフェストは変わる事があるという事も学んでいるから、いっそう難しさが増している。

世界的には、結局沢山の政党が懸命に主張をしても、数の理論で自民党が勝利するという事が選挙前に織り込み済みとなっている。だから、自民党の阿部さんの発言にいちいち為替相場が反応するなどの現象が起こっている。ここ最近の新聞の出口調査結果も、論点が自民党の単独過半数いくかどうかという事に移っている。

人間は弱いものだ。
 原子力の危険性は誰も理解している。それでありながら原子力発電を止められないのは、既に便利な面を数多く知ってしまった為に手放したくないのだ。
公務員改革や国会議員定数削減も、誰もやる事が正しいのではないかと理解はしていると思われる。だが一向に出来ないのは、それぞれに各人の生活がかかっているからだろう。もし自分が今の収入を失い、下手すると家庭崩壊をも視野に入れた検討をしなければならないとしたら、それでも正義の為と賛成できる人がどれだけいるだろうか?

自らを治する。
解っていても出来ないのが人間。
じゃあ選挙なんて何回やっても何の意味も無い。のか?

自分にもし権力があるなら、そう考えて方法を考えてみた。

1-選挙投票権を放棄した者には税金の増額を課す。
PTAや自治会などでもそう、自分は非協力的な割に文句を言う人が結構いる。ただ、それでもいやいやながら協力する。それは、誰がどういう発言をしたかが知れ渡るからだ。選挙の場合には、投票所で個人チェックはするものの誰が投票していないかは他人に知られる事は無い。だから無責任さが増し、それでいながら政治批判はいっちょう前にする人ばかりなのだと思う。
そこで、投票をしなかった人は投票権と共に責務も他の人にお任せしたとみなし、汗を流す代わりにお金(税金)に転嫁するという方法をとる。
国民の権利の平等性から言ったら、そういうのはありと思う。権利とは表裏一体で責務も生じる、それが民主主義の原則と思う。

2-政党政治の廃止。
様々な議案に対して、全ての点で完全に一致するなんて事は本来あり得ない。
政党なんて、戦国時代の戦と同じで、数で優位に立ったところが覇権を得る法則そのものだ。しかし、現代の政局では議案ごとに意見が対立したりするが、戦国時代のように力でねじ伏せる事がままならず分解してしまう。正にそこが問題点だ。
初めから表面上のグループ化を許可しなければ、事態の長期化につながる議会の解散や国会の空転は少なくなるだろう。
各国会議員は、それぞれの信念に従い、各議案毎に意思表示をする。
まあ、それではまとまらなくなる危険も増すわけで、最終的には多数決のトーナメント方式などの方法を考える必要がある。

etc,etc。。。。。。


さあ、そろそろ開票速報番組が始まる頃。
心してみる事にしよう。

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