2012年6月24日日曜日

手継神社

我が家の近隣の話題をひとつ。

この手継神社は、茨城空港のすぐ近くにあります。
民話の「河童の恩返し」にでてくる河童を祭った神社です。
この神社は手の病気の願掛けを行うと、効果があるらしい。
願掛けをして効果があった人は、お礼にこのような手形を奉納するようだ。

ところで、ここに祭られている河童の民話を知らない方も多いと思いますので、簡単に紹介します。

昔々、行方市現原の殿様が領地の見廻りを終えて屋敷に戻る途中、梶無川の橋を渡っていると乗っている馬が突然動かなくなりました。 振り返ると、子供くらいの怪物が馬の尻尾をつかんで川に引っ張りこもうとしていました。殿様は「村人を困らせている河童だな、懲らしめてやる。」と、刀で切りつけました。河童は悲鳴を上げて川の中に姿を消してしまいました。
御屋敷に戻ると、馬の尻尾には河童の手がぶら下がったままでした。
その晩のこと、河童がやってきて「私は梶無川の河童です。腕が無いと泳げないし魚も獲れません。どうぞ腕を返してください。もう絶対に悪さはしません。」と懇願するのです。かわいそうに思った殿様は、河童の手を返してやりました。そうすると河童は、「私どもには秘薬があり、腕を返していただければ元通りくっつけることが出来るのです。」と言って薬を傷口に塗り、ひょいと腕をくっつけました。殿様が驚いて見ていると、「お礼にこの薬の作り方を教えます。それとこれから毎日魚を御屋敷にお届けします。ありがとうございました。ありがとうございました。」と河童は薬の作り方を殿様に教えて帰っていきました。
次の日から毎日、御屋敷の梅の木の枝に魚が二匹ぶら下げてあるようになりました。
しばらく経ったある日のこと、いつもの木の枝に魚がかかっていませんでした。殿様は河童の身に何かあったのだと思い、心配で川を探させました。すると、川の上流の与沢と言うところで腕に傷跡のある年老いた河童が死んでいるのが見つかりました。死ぬまで恩を忘れなかった河童に心打たれた殿様は、河童の見つかった与沢に祠を建てて手厚くその霊を祀りました。

河童を祀った神社って結構珍しいのではないかと思う。
そして、民話の物語の中で登場している殿様が、新撰組で有名な芹沢鴨のご先祖様です。



詳しい地図はこちらの行方市商工会HPから
新撰組マップ
NHKのドラマで一時期有名になり、歴女と呼ばれる歴史好きな女の子も結構来ていましたが、今では訪れる人はまばらです。
生家跡からちょっと歩いたところには、殿様が河童に襲われた橋の名残り、手奪橋があります。

 それとこの川、梶無川にも民話があるのです。
この川の由来は、昔日本武尊が川を渡る際に、梶を取られ折れてしまったことから、梶無川と言うようになったとのこと。でも、日本書紀にはこの逸話は書かれていないから、この話を知るのは地元の人ばかりですけどね。
かつて、大和朝廷の権力の及ぶ範囲には、このような伝説が残るところが多いらしい。歴史研究家によれば、権力の及ぶ範囲には自分達で名前を付け、権力を誇示するためにそのような話が多いのだとか。

他にも日本武尊の伝説が残っている史跡がありますので、次の機会にでも紹介しますね。
では、お楽しみに~


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